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特集「髪にまつわる歴史」

●社内報アーカイブ

髪を切る行為は、人類の歴史の中で重要な役割を果たしてきました。
この行いは単なる清潔さや美容のためだけでなく、社会的な意味合いや文化的なシンボルとしても機能してきました。
本記事では、髪を切る歴史のいくつかの重要な側面に焦点を当ててみたいと思います。


床屋発祥の地とは?

床屋という職業は、古代エジプトや古代ギリシャで発祥しました。
彼らは髪を刈ったり、髭をそったりすることを専門としており、同時にその地域の社会的な場所としても機能していました。

理容室といえば「サインポール」その由来は?

諸説あり現在も決定的な由来づけはなされていません。
広く知られている説としては、赤は動脈、白は包帯、青は静脈を表しているという説です。 これは、床屋が外科医を兼ねていたことの名残であると言われています。
他にも1745年にイギリスで床屋の組合と外科医の組合が分かれ、その際に「床屋は、赤、白、青をシンボルとすべし」と定められ、それが由来とする説明もあります。

理容師は頼れる「町の相談役」だった?

江戸時代の日本人と、現代の日本人、相違点として最も目立つのはやはり髪型です。
男女ともそうですが、特に男性の違いは大きいです。月代(さかやき)を剃って、髷(まげ)を結った髪型は、現代においてはほぼ絶滅しました。

この「失われた髪型」はどのような環境で作られていたのでしょうか?
その担い手となったのが、江戸時代の髪結床(かみゆいどこ)です。
長い作業時間中にお客と様々な話をして、時には揉め事の解決に出向いてくれることもあったそうです。
当時の彼らは程度の違いこそあれ、髪結の時間を通して人々の悩みを解決していたようです。
ですので、髪結になるには、例外なく高いコミュニケーション能力が必要でした。

「断髪令」から発展した日本での近代理容とは?

一般的に「断髪令」(だんぱつれい)と言われる出来事ですが、正式名称を「散髪脱刀令」(さんぱつだっとうれい)といい「散髪脱刀勝手たるべし」との発布により、当時の華族・士族が”髪型の自由”と”刀を差さなくても構わない”とした出来事でした。
その影響は武士や農民などにも広がり、社会的身分によって髪型や髪の扱いに規定が事実上無くなりました。そして明治時代に入り、西洋文化の影響を受けて近代的な理容の概念が広まりました。これにより、理容室が一般的になり、理容師としての職業が確立されました。

 

お相撲さんの髷(まげ)を結う「床山」とは?

床山(とこやま)は、日本の伝統的な職業の一つであり、主にお相撲さんの髪を結う仕事として知られています。
お相撲さんの髪型はß、その身分や地位を示す重要な要素として古くから存在しています。

彼らの髪型は「髷(まげ)」として知られ、厳粛で格式ある雰囲気を演出するために非常に重要な役割を果たしています。お相撲さんの髷は、床山によって丁寧に整えられ、伝統的な技術と知識が必要です。
力士の髷には2種類あり、髷の先をイチョウの葉のように広げた大銀杏(おおいちょう)、髪をちょこんと結ぶ丁髷(ちょんまげ)です。大銀杏は十両以上の力士(関取)にしか許されておらず、それも本場所や公式行事の時だけです。普段は全員丁髷で過ごします。

丁髷を結うには、まず力士の髪を丁寧にとかしていく。その後、「鬢付け油(びんづけあぶら)」とも呼ばれる「すき油」を髪の毛全体にしっかりとなじませる。その工程を何度か丁寧に繰り返した後、髪を根元近くで一本に結ぶ。このとき使うのは、元結(もとゆい)という和紙を細く巻き、海藻や米で作ったのりを塗って固めた丈夫な紐。途中でほどけてしまうことのないように、手と歯を使いきつく締める。束ねた髪を頭部に折り曲げてのせ、再度元結でしっかりと結び完成する。すべてが終わるまでには約10~15分かかります。

一見単純な作業ながら、力士それぞれに違う髪質や頭の形を見極め、簡単に崩れないよう素早く作るのは至難の業です。一般的には髷2年、大銀杏5年とも言われますが、その技と勘を会得するにはさらに何年も修行が必要です。

カット技術を革命的に変えたヴィダル・サスーンカットとは?

20世紀に入ると、ヴィダル・サスーンという美容師が登場し、その斬新なカット技術で世界中の注目を集めました。
彼のカットは、従来の古典的なスタイルから解放され、自然で動きのある髪型を提案しました。特に「ボブカット」は彼の代表作として知られ、世界中で大きな影響を与えました。

カラーリングの定着と共に技術開発が向上

近年では、カラーリング技術の進化が理美容業界に革命をもたらしています。カラーリング剤の品質や染め方の技術が向上し、髪を切るだけでなく、染めることでさらに個性を表現することが可能になりました。また、カラーリング剤の開発により、髪のダメージを最小限に抑えることができるようになりました。

髪を切る行為は、単なる清潔さや美容のためだけでなく、歴史や文化、社会の中で重要な役割を果たしてきました。
その歴史を振り返ることで、人類の多様な姿や文化の変遷を垣間見ることができます。
現代においても、髪を切ることは個性やアイデンティティを表現する手段、そして日々の生活に潤いを与え、前向きな気持ちで行動する活力を人々に提供できる行為であり、理美容師は素晴らしい職業だと再認識することができました!

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